ディスコース分析とは

研究法

この記事では

  • 「ディスコース分析」ってなに?
  • 「ディスコース分析」って、一体何を分析すればいいの?

という方の答えを提供する記事になっています。

ディスコース分析とは

結論ですが、「ディスコース分析」とは、ディスコース」を分析することですね。

身も蓋もねえと言いたいところでしょうが、そこは怒りをグッとこらえていただきたい。これから説明するので。では、「ディスコース」ってなんだという疑問を抱くでしょうから、そう思った方は前回の記事を参照ください。

ディスコース分析の2つの立場

まず最初に、知っておいていただきたいのは、「ディスコース分析」には2つの立場があるということです。

  1. 具体的な社会的相互作用場面での分析する立場
  2. 社会的諸制度,とくに権力との関係の究明をする立場

この2つです。

広い意味での社会学における「ディスコース」の研究は,大きく二つの領域に分類することが可能である。一つは言語学の知見を援用して具体的な社会的相互作用場面での「ディスコース」の分析へと志向するものであり,もう一つはフーコーに代表されるように,具体的な「ディスコース」が生起する相互作用の分析ではなくて,むしろ「ディスコース」とそれ以外の社会的諸制度,とくに権力との関係の究明を志向するものである。

引用:ディスコース研究のディスコース-ディスコース研究の可能性を求めてより

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この2つの立場の特徴を表にまとめると以下のようになります。

また、この「言語学的ディスコース分析」とか「社会理論的ディスコース分析」という表現は、便宜的にこの論文内でつけられた名称の様ですのでご注意ください。

言語学的ディスコース分析

ですので、ここからはそれぞれの立場を1つずつ掘り下げることにします。

まずは、「言語学的ディスコース分析」についてです。この立場の特徴は、すでに述べた通りですが、論文から他にも興味深いパートがあったのでそちらを引用しておきます。

スタップズによれば,「談話分析discourse analysis』という用語は,「極めてあいまいである」が,「自然に生じた,連続体をなす音声言語及び書記言語による談話の分析」のことを意味し,「大まかに言って,それは文(sentence)あるいは節(clause)の上のランクに位置する言語構造の研究,従って,会話における言葉の交換とか書かれたテクストといった,より大きな言語単位の研究を指す」

引用:ディスコース研究のディスコース-ディスコース研究の可能性を求めてより

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何やら「より大きな言語単位」という部分が「社会的相互作用場面」という特性と大きく関与していそうな匂いがしますね。また、「言語構造の研究」ということについても触れられていますが、これは言い換えると「機能的な分析」ということなのかもしれません。

というのも、別の書籍では、このようなことも書かれています。

 ディスコースを研究する人々は、言語を遂行的(performative)で機能的(functional)なものとして見ている。すなわち、言語が中立的で透明なコミュニケーション手段として扱われることはない。

引用:SAGE質的研究キット 会話分析・ディスコース分析・ドキュメント分析より)

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で、何が言いたいかというと、このページの末尾に記載した参考書①を読むと、ディスコース分析の立場が2つあるということがわかったのだが、参考書②についてはどちらかというと、この「言語学的ディスコース分析」によっているのではないかと思う。もちろん、「権力構造など」についても触れるのだけど、相互作用や機能的な観点からの分析が多くなされているように思う。例えば、以下。

 ディスコース心理学者は、感情、記憶、態度のような一見心理学的な概念が、深く社会的なことがらであって、個人の認知に埋め込まれただけのものというよりも、行為や相互作用を通してローカルに、協働的に、どのように生み出されるのか、といった点に焦点をあてている。

引用:会話分析・ディスコース分析・ドキュメント分析より

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これだけ読むと、完全に「言語学的ディスコース分析」の立場ですよね。

言語論的ディスコース分析の問題

さて、これで「言語論的ディスコース分析」が「言語的なやりとりの機能」に注目する立場であるということがおわかり頂けたのではないかと思います。

ただし、「機能に注目するだけでは不十分だ!」と文句を言う人たちがあらわれたわけです。

シンクレアとクールタードは,教室での「ディスコース」をいくつかの単位に分解し,それぞれの単位を「ディスコース」の中での「機能」の観点から分析する。彼らの研究は「ディスコース」の体系的な構造特性に注目し,それを記述する方法を初めて提出したという点で評価されるが,しかし,「ディスコース」の社会的性格,とくに教師と生徒の社会関係(権力関係)を不問に付し,既存の定型的な教師主導の「ディスコース」を「自明視」し,暗黙のうちに,教師主導の現在の教育実践を正当化している。なぜ,そのような教師主導の「ディスコース」が存在するのか,それを成立させている歴史的,社会的な基盤は何なのかについての考察が欠けているのである

引用:ディスコース研究のディスコース-ディスコース研究の可能性を求めて-より)

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このように、「言語論的ディスコース分析」は、当初、教育場面における「ディスコース」つまり、「教師と生徒」の「ディスコース」を扱っていたのだとわかります。

しかし、「教師と生徒」という「ディスコースを構成する人々の関係」を度外視すると適切な分析がなされない。そこで、「人々の関係」に目を向けると「教師と生徒の関係」は「教える」と「教わる」という関係があることになりますが、そのような関係の場合、必ず「権力」というものが関わってきます。

つまり、それこそが、「ディスコース」と権力、あるいは、社会制度との関連性に注目する「社会理論的ディスコース分析」の立場に関係してくるわけですね。

社会理論的ディスコース分析

それでは、「社会理論的ディスコース分析」とは一体どんなものなのでしょうか?

ブログの前半ですでに述べていますが、「社会理論的ディスコース分析」には以下の特徴があります。

  • 文字(書字)データを分析対象とする
  • 分析範囲が「言語学的ディスコース分析」に比べ広い(マクロ)
  • 分析の着目点は社会制度や権力

大まかにまとめるとこの3つを備えていると言えます。

したがって、「言語学的ディスコース分析」の対象が「ディスコース単体」であるのに対し、「社会学的ディスコース分析」では「ディスコースの複合」が対象になります。

つまり,「ディスコース」の分析は,個々の「ディスコース」を対象とするのではなく,複数の「ディスコース」から構成される複合体を対象としなければならないということである。

引用:ディスコース研究のディスコース-ディスコース研究の可能性を求めて-

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また、以下の点も「社会理論的ディスコース分析」では強調されます。

「ディスコース」の分析は,どの文が文法的に正しいとか,論理的に一貫しているとかを分析するのではなく,社会的,歴史的にさまざまな「ディスコース(の形成= 編制)」を特定することである。

引用:ディスコース研究のディスコース-ディスコース研究の可能性を求めて-より

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それはそのはずですね。ディスコース分析の重鎮である、フーコーさんは、「ディスコース」が成立するため、つまり「意味を持つ」ためには、その外部との関係、つまり、社会制度や歴史などの文脈に依存しているからだということを主張しているのですから。

要は,「 ディスコース」の問題は,そ れと 「非ディスコース実践」との 「関係」の中で考察する必要があるということである。

引用:ディスコース研究のディスコース-ディスコース研究の可能性を求めて-より

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「非ディスコース実践」というのが文脈のことですが、この引用部分が意味するところは、ディスコース分析のまた別の権威であるぺシューさんと違い、「ディスコース」が「非ディスコース実践」を構築することもあればその逆もあるということです。つまり「相互作用的」な関係です。

言い替えれば,フーコーは,すべての「言表」に内在する「相互ディスコース性」を明確に指摘しているのである。

引用:ディスコース研究のディスコース-ディスコース研究の可能性を求めて-より

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まとめ

ということで、ここまでの話を図にまとめるとこんな感じになるんだと思う。

言語論的ディスコース分析は、「ディスコース単体のやりとりの機能」に注目していて、一方、社会理論的ディスコース分析は「ディスコース単体をその他のディスコースとの関係性や、あるいはそのディスコースが置かれた文脈(非ディスコース実践)との関係から生じる意味」について注目した分析であると考えられます。そして、「ディスコース一般」というのは、その両方を含んでいるという考え方がどうやら適切なのではないでしょうか。そのような見解にたつと別の書籍で以下のように言われていることも納得できる。

 アプローチに関わりなく、ディスコースを分析する人々にとって一番の関心事は、言葉がある文脈においてどのように使われているかにある。そして、文脈は、会話の特定の瞬間から特定の歴史的時間までに及び得る。

引用:SAGE質的研究キット 会話分析・ディスコース分析・ドキュメント分析より

※引用の具体的なページ番号などが知りたい方はこちら

つまり、「ディスコース分析」をする上で「文脈」という観点は必ず考慮されるが、その範囲は幅広く、どのような文脈を扱うということについてはこれまで扱ってきた2つの立場が含まれているように思う。

参考書

ディスコース研究のディスコースディスコース研究の可能性を求めて(論文)

②SAGE質的研究きっと 会話分析・ディスコース分析・ドキュメント分析(書籍)

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