リフレクシヴィティとは?~意味についてまとめ~

研究法

この記事では、「質的研究に最も際立つ特徴」であるとされる、「リフレクシヴィティ」について探ってみることにする。

リフレクシヴィティとは?

そもそも僕が「リフレクシヴィティ」とかいう概念に興味を持ったきっかけは「リフレクシブな分析」をすることにあった。

それは「心理学の質的な研究」に着手する上で、重要だと思ったからなのだが、ネット検索してみると、どうやら「金融界隈」でもこの言葉があるらしい。

 リフレキシビティとは、私たちが何らかの行動を行うにあたって、どんなに客観的な分析と判断を行ってから行動したとしても、その行動が私たちの判断に影響を及ぼすために、客観的でいることが不可能であるような状態を指す。

(引用:ジョージ・ソロスが唱えた「再帰理論」とは?より)

この描写を読む限り、中身としてはやはり「心理学」にも通じるところがあるように感じる。

それは直感的にということなのだけど、一応僕が目を通した心理学関連の書籍からも1つ引用を示しておきたい。

ウィルキンソン(Wilkinson,1988,p.493)は「もっとも単純な言い方をすれば、それは統制のとれた自己反省と考えることができる」と述べている。

(引用:質的心理学研究法入門,p195より)

とりあえず、この「2つの手がかり」から考察してみると、「客観視なんてそもそも不可能なの話だけれども、だからこそ自己反省をしないといけないよね」と解釈できる。

もちろんここでそのような判断を下すのはかなり安易なので、「仮説」ということでここでは留めておきたい。

リフレクシヴィティには種類がある

そんな仮説を胸に抱きながら、参考書を読み進めているとどうやらリフレクシヴィティには種類があるとわかった。

  1. 個人リフレクシヴィティ
  2. 機能リフレクシヴィティ
  3. 専門リフレクシヴィティ

この3つだ。

1つずつ概念を追ってみると

 個人リフレキシビティは研究者が何者であるか、研究者としての個性、そして個人的な興味、価値観が、いかに研究の最初のアイデアから結果までに影響を与えているかを認識するものである。

(引用:質的心理学研究法入門,p195より)

これを先ほどの仮説を照らし合わせると、確かに客観性を担保するために必要な要素だとは思うのだけれど、これを読んだ時の僕の気持ちは「イマイチつかみどころのない表現だな」である。

機能的リフレキシビティをウィルキンソン(Wilkinson,1988,p.493)は、「研究の前提、かち、偏向を明らかにするために、研究の仕方やプロセスに対する批判的な検証を行い続けること」と定義している。

(引用:質的心理学研究法入門,p196より)

どちらかというと、こちらの方が「客観性の担保」という仮説に合致しているような印象。特に、「批判的な検証を行い続けること」の部分が。

ここまでで、なんとなく自分が抱いていた仮説が立証されているような感覚はあるのだけど、大きな問題がある。

仮に、いざ「リフレクシヴな研究」をしてください。「リフレクシブな分析」をしてください。はい。どうぞ。って言われてもよくわからないということだ。

論文をあたってみた

しかし、「リフレクシヴィティ」について説明がなされている書籍というものは実は多くないことがわかった。そこで、論文を検索してみたのだが、「ハイスクールの同窓会における自我とリフレキシビティー」というなんとも面白い題目があったのでこちらの目を通すことにした。そこで、新たな定義を発見したこともあり、以下に引用しておく。

Reflexivityという概念に『内省』という訳語をあてているが、本来、『reflexive』という英語は、『内省』や反省を意味する、reflectiveやintrospectiveとは区別される。Reflexiveは、鏡に反映した自分の像をみて自己を顧みるといったような、象徴的反復作用を強調した概念であることをことわっておきたい。」

(引用:ハイスクールの同窓会における自我とリフレキシビティー,p60)

この論文の内容をざっくり要約すると、

  • アメリカの1つの文化体験としてのハイスクールの同窓会には、内省性(reflexivity)」を生み出す機能がある。
  • その機能とは、日常生活の流れをとめて、普段とは違う意味の世界を可能にする様な「フレーム(frame)」をつくる能力のこと。
  • 具体的に、リフレキシビティの発火となるきっかけは「語ること」
  • 同窓会における「語り」とは、「現在の私」を私自身が「語る」ことであり、「現在の友人」が私に向けて「過去の私」を「語る」こと。
  • 同窓会におけるそのような「語り」は、他者の記憶にある「自分」と現在自分が持っている自我意識との「ずれ」に直面することとになり、それこそが「内省性(reflexivity)」を促す。

こんな感じだろうか。具体例もふんだんに盛り込まれているので、興味がある方はぜひ目を通して頂きたい。

いずれにせよ、この論文を通じて僕が学んだことは、「同窓会」が「内省性(reflexivity)」を引き起こす、「きっかけ」になっているということだ。

つまり、リフレクシヴィティを誘発するためには、何かしらの「きっかけ」が必要ということになる。

リフレクシヴィティ・チェックリスト

では、「リフレクシヴな分析」を実現するためには、そんな毎回「非日常度の高いイベント」に直面しなければいけないのか?という話になるが、そんなことはない。

先ほどの書籍には、マーシャルさんが作ったというリフレクシヴィティ・チェックリストというものがあり、その内容は以下の項目から構成されている。

  1. 研究がどのように行われたかについて
  2. データとの関係について
  3. 文脈における妥当性

この3つは大項目であり、それぞれの項目の下には、全15の小項目がある。つまり、このチェックリストに沿って、分析を進めろという道しるべなのだろう。

そして、そのような進め方をすることが「統制の取れた自己内省」に繋がるのでははないだろうか?

参考書

①質的心理学研究法入門

コメント

タイトルとURLをコピーしました